若 | 勝負事における審判

若

今週のトークテーマは『勝負事における審判』(テーマ提案者:went)

これでキャスターがひと通り1回テーマを提案したことになります。

 

「勝負事」と聞かれてみなさんは何を思い浮かべますか?

僕はあまり「勝負」したくないんですけど、時に「勝負」しなければならない時も。

*はじめに…

勝負事と聞いて何を思い浮かべるか。
クラブ・部活動、勉強・テストの点数/成績などを思い浮かべるのでは?
勝負には必ず決着が付く。決着が付くものだから「勝負」と呼ぶ。
決着は「審判」によって決まる。「審判」にはルールが介入する。

 

*吹奏楽における審判(全日本吹奏楽コンクール)

スポーツのように明確な点数で審判されるようなものではない。そこに人の良心が介入する。
吹奏楽にもルールが存在する。
「金賞」と「銀賞」と「銅賞」
演奏する人数(A:50名、B:35名、C:25名)と時間に制約がある。
キーワード『3出制度』(3年連続全国大会に出場すると次の年は出られないという制限)
地区大会(県大会的な…)は各地方で異なるようだ。
北海道は、審査員が7人。
技術と表現の2項目を10段階で評価。
全国は審査員が9人。
課題曲の技術面・表現面・自由曲での技術面・表現面の4点についてABCDEの評価をする。(フィギアスケートみたいな)
最も高い評価をした審査員1人と最も低い審査員1人の評価はカットされる。つまり7人で評価。
⇒審査が不透明。(あとで会報に載るようです。)
審査発表の時の歓喜(歓声)と落胆。

*誰が審査しているの?

強豪校の顧問、交響楽団の奏者、指揮者など。

 

*吹奏楽から離れて改めて聴くと…

よく”聴ける”ようになる
音が分かるようになるということ

*わたしの吹奏楽を通して学んだ勝負感(まとめ)

音楽で「競争」するべきではないのではないだろうか。(奏者としても聴衆としても)
吹奏楽コンクールは「競技化」している。
音を楽しむと書いて「音楽」ではなかったのだろうか。

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