けくの太郎 | 勝負事における審判

けくの太郎

火曜日担当、けくの太郎です。今週のトークテーマは『勝負事における審判』(テーマ提案者はwentさん)です。

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①野球の審判

各審判によってストライクゾーンが違う。Ex)ストライクゾーンが高め/低め、肘の高さまでは全部ストライク…etc

 

②ディベートの審判

各審判(ジャッジ)によって評価が違うが、それを承知した上で各ジャッジがクライテリアをディベーターに発行する。

Ex)ディベート全体のシナリオをみて評価する、英語力を重視する、データの信憑性を重視せず、コモン・センスに対して寛容…etc

 

③ディスカッションの審判(チェアパーソン)

PDD(Policy Determine discussion)

English/Opinion/Leading/Presentation/Attitudeが主な基準となり、チェアパーソンによって評価基準が異なる。基本的にはOpinion重視かLeading重視のチェアパーソンが多いが、その違いは大きいので、参加者はチェアパーソンが発行するクライテリアに合わせて議論に参加する必要がある。

 

 

⇒(もちろん常識の範囲内でだが、)各審判ごとの価値観があってよい。しかしブレがあってはいけない。↓「良心が働く」ことがあるべきではない。

 

【スポーツマンシップ】

競技者の視点と道徳的・常識的な視点

 

【競技者の視点】⇒勝利の追及のために、相手の弱点を突いてもよい

【道徳的・常識的な視点】⇒弱点を攻めることへの否定

Ex)甲子園での松井(秀)の5打席連続敬遠、隠し球…etc

 

 

競技者としてあるべき姿は、勝利を追及することで、それこそがスポーツマンシップなのではないか。弱点をつかないのは、勝利のためにベストを尽くしていないことになるのではないか。

たしかに、5打席連続敬遠は勝負を放棄しているといえるので、その意味では卑怯な先述とも言える。「最善を尽くして相手よりも優れていることを示す」ことが、卓越性理論における試合の本質。投手vs打者でみたら卑怯だが、野球はチームスポーツなので、戦略としては卑怯とは言い切れない。なぜなら、野球の本来の目的は、相手に得点させずに、自分たちは得点を取ることだから。

 

そう考えると、一般世界の道徳的な考え方を競技の世界に組み込もうとするのはむずかしいことかもしれない。

 

 

そのうえで、審判がすることは、

・ゲームそのものを破壊するようなルール違反をする競技者を排除すること

・線引きをしっかりとしたうえで、ニュートラルな立場でいること

【参考文献】
川谷茂樹『スポーツ倫理学講義』(ナカニシヤ出版、2005年)

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